田口ランディ検証資料 -- :: (1) 盗作疑惑 ::
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これらの検証資料は、★ブサイコ盗作屋・田口ランディ監視スレPart5★の「検証資料」(3から14) などをベースにしています。
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検証本、差し止め請求もナシで売られ続けています。 『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』 裏表紙の帯は、こういうのだったりします。いいんでしょうか……。 ネット書店で買いたい人はクロネコブックサービスか紀伊国屋、amazon、bk1、esbooks、図書券を使いたい人はjbookで。 |
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| 田口ランディ先生は、別冊宝島 Real 043 『まれに見るバカ女』 (amazon、bk1、紀伊国屋) でも言及されています。担当ライターは栗原裕一郎氏。 | |
ちなみに私は雇用機会均等法の第一世代だ。
あ、そうか、ようするに私の世代がこれからの子たちのモデルになるのだな。ちなみに、林真須美容疑者は私と同世代だ。
とは言っても「代々漁師」というより、酒屋だった祖父が身上をつぶして漁師になったらしい。なにしろ私の田舎は伊豆の下田だ。そして、私の父も祖父も、実は漁師、海洋民族なのである。私の趣味はヨットとカヌーとダイビングだ。もしかしたら私の身体のなかにはポリネシアの島人たちの血が濃く流れているのかもしれない。そして、それがこのような偶然を次々と引き寄せているのかもしれない、そんなことを思った。
※「大平洋シンクロニシティ」は、ここにコピーがあるようです。祖父は裕福な酒屋の3代目だったが、放蕩が過ぎて家を破産させた。父は長男なので、家が裕福だったころに生れている。そして四歳のころから、貧乏のどん底に落とされる。
破産した祖父は、下田の漁師になるのだが、その祖父のスパルタ教育は虐待に近かった。父は子供のころ、祖父から川に投げ捨てられて溺れたことがあるらしい。
小学校3年生くらまではとてもおとなしい子だった。ぼ−っとしてましたね。特殊学級に入れようと思われていたくらいぼおっとしていたし、勉強もできなかった。でも、すごい読書家でした。だからバカではなかったろうと思うのですが、ずっと「大バカ」だと思われていました。その事はちょっと悲しかったな。きっと環境の変化に対して自己表現が追いつかなかったんだと思います。
ところが、11歳を境にして、私はその世界に住めなくなった。なぜなのか
わからない。非常にはっきりと記憶していることがある。私は11歳の時に盗
作した。
国語で創作の物語を作る授業の時に、私はかつて読んだことがあるマンガの
スト−リ−を盗作して物語を作った。なぜそんなことをしたのか、今はわかる。
「いいものを作りたかった」からだ。
たぶん、11歳の頃から私は「人に評価され褒められるものを作る」という
病気に犯され始めたらしい。そしてそれは、「失楽園」の始まりでもあった。
私は神秘的な事への興味は13歳の頃から明確にありました。その当時心酔していたのがヘルマン・ヘッセの「デミアン」という小説でした。ヘッセを通して宗教や東洋哲学やユングを知りました。読書家だったので、中学の頃から非常に本を読んでいて物知りでした。今もその時の知的財産で食いつないでいます。
高校生のときにアルバイトをした笠間の土産物屋の女店員にいじめられた。
ブチ家出寺山さんが面白いというんだから、観ないわけにはいかないと思った。当時高校生だったわたしは、東京に行くと寺山さんの自主映画制作事務所「人力飛行機舎」の事務所の二階に泊めてもらっていた。そこはわけのわからないアバンギャルドの巣窟みたいな場所で、前衛探検するには最高のジャングルだったんだ。
■プチ家出の快楽
17 歳の時、私は寺山修司という人と出会い、その後、東京に行くとよく寺山さんの 事務所に泊めてもらっていた。三田に「人力飛行機舎」という事務所があり、その二階 にHさんという女性が住んでいた。彼女は「人力飛行機舎」で寺山さんのアシスタント 兼秘書みたいな仕事をしているようだった。
その後 19 歳で、大家に追い出され、大学? ドロップアウト→専門学校?というのも、私は18歳から19歳までに一年間、都内の新聞専売所に住み込みで働いていたからだ。《中略》 確かに、私は高校を卒業して大学に進学するために、奨学金を貰って専売所に勤めた。親は私が地元を離れることを反対して、学費など出さないと言う。
自らを「無学歴」と言っていることから、大学入学の事実は無いとの見方もあるし、 ★ゴーマン盗作屋・田口ランディ監視スレPart2★の 400 に引用の残る「素晴らしく無意味な世界」には、「ロクに大学も出ていない」との発言が。なぜかというと私は親に反対されて大学に進学したために仕送りをもらっていなかったのだ。 《中略》それから、私は引っ越し資金を稼ぐために、吉祥寺のパブで「カウンターレディ」なるものを始めた。
白州正子さんは、漁師でアル中の父親に泣かされ、ロクに大学も出ていない私の対極にいるような人である。だから、なぜか憧れる。
私は20歳のとき、成人式には出ていない。その頃は吉祥寺の飲み屋で、すでにカウンターレディなるものをやって酔っ払いの相手をしていた。そして、成人式の日は仕事を終えてからディスコに行き、同じ店でウェイターをしていた男の子たちと、朝までずっと踊っていた。
同コラムにも書かれているが、辞めた直後に猫を虐待あれは、ちょうど丸の内のOLを辞めた頃だった。私はその職場で、年上の先輩女性社員からイジメにあっていた。就業中、二人は私の存在をまったく無視して、一切、口をきいてくれなかったし、ずいぶんとひどいイヤミを言われた。
ワイヤードの 2000年 6月 18日の日記にも「私がまだ銀座でホステスのアルバイトをしていた時、 つまりかれこれ18年も前に、」の記述があることから、自称銀座ホステス時代は今から 19 年前、ランディが 23〜24 歳の時。彼女はあたしが23歳のころの友だちだった。あたしはそのころ人生のどん底であえいでいて、ぐちゃぐちゃだった。どうぐちゃぐちゃだったか書くと長くなるのではしょるが、肝臓を悪くして入院するほどぐちゃぐちゃだった。もちろん飲みすぎだ。
開始が 1989 年だと黎明期からの参加とは言えないが、ランディ本人は、自分は黎明期からの参加者と強調するのが好きらしい。「欲望という名の出会い系サイト」でも、ネットワークってものを1989年に始めたんだよ、私は。
もともと十数年前にパソコン通信を始めたのも、半分はナンパ目的だ。かつてネットの黎明期、女のネット人口は男の10分の1くらいしかいなかった。この頃は女だというだけでモテた。いい時代だったなあ、と思う。
>こんにちは。田口ランディと言います。 >女性です。ルポライターです。「癒しの森ひかりのあめふるしま屋久島」 >という本を出版してたのがきっかけでここに来ました。 >とにかくここのところこのメーリングリストは説教臭くて気持ち悪いです。 >まるで宗教の人たちが説法をしゃべってるみたいな口調で不気味だなあ。 > さらに、相手の発言を引用して発言する人が多いことです。たとえば今 >回のクリスタルさんの発言がそうで、あたしは自分の言葉を切り張りされ >るのってすごく嫌な感じがします。 > できれば私の発言を引用して自分の発言に使うのはやめてほしいです。 > きゃー、ねもっちさん、ごめんなさい。 > 怖いよお。そんなに攻撃しないでください。 > > だからあたしは自分みたいなのが他にいないんなら、退会しますって言 >って、すごく正直に気持ちを書いただけなんだけどなあ。 > えんえんえんえ〜ん……。
「サルタヒコの旅(鎌田東二 編著)」からの引用私は去年の6月に、大黒屋誠二朗さんから「あんたの後ろには紫式部がくっついていて小説を書きたがっている」というぶっとぶような事を言われ、
「コンセント」の謎「帯は村上龍さんに書いてもらったらええ」 それから一週間後に幻冬舎の人が「長篇小説を書きませんか」と、突然訪ねてきた
具体的なきっかけは、昨年の6月に幻冬舎の編集者であるSさんがやって来て、「長編小説を書いてください。きっと書けます」と言ってくださったことだ。
「ケリがいいものな」は原文ママ。書籍の『ぐるぐる日記』でもそのまま。そういや10年も続けてしまったものなあ、パソコン通信。これを機会に、もう辞めてもいいのかもしれない。ネットワークってものを1989年に始めたんだよ、私は。99年で終わるのもケリがいいものな。
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