田口ランディ検証資料 -- :: (1) 盗作疑惑 ::
(2) 経歴検証 ::
(3) 誤字脱字造語 ::
(4) 自作自演? ::
(5) これもパクり? ::
田口ランディについて ::
スレ ::
関連資料 ::
ここが見どころ! 乱D文庫 ::
田口ランディを文体模写で遊ぼう ::
盗作の検証資料は、★ブサイコ盗作屋・田口ランディ監視スレPart5★の「検証資料」(3から14) などをベースにしています。
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検証本、差し止め請求もナシで売られ続けています。 『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』 裏表紙の帯は、こういうのだったりします。いいんでしょうか……。 ネット書店で買いたい人はクロネコブックサービスか紀伊国屋、amazon、bk1、esbooks、図書券を使いたい人はjbookで。 |
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| 田口ランディ先生は、別冊宝島 Real 043 『まれに見るバカ女』 (amazon、bk1、紀伊国屋) でも言及されています。担当ライターは栗原裕一郎氏。 | |
主人公の名前は、同じく岡崎の 「私は貴兄のオモチャなの(主人公の通称:ポチ)」からのパクリか?
「ポチの魂」は、「鳩よ!」で賞を受賞し、4月号に掲載。 「鳩よ!」のサイトから、内容チェック可能。
鳩よ!掌編小説コンクール第二期七月号発表 -- 今月の当選作 ポチの魂
岡崎京子「チワワちゃん」の初出は1994年、ランディ「ポチの魂」の初出は1998年。
類似点:
その他の共通点:
- 貴志祐介『天使の囀り』 角川ホラー文庫 P.55-56 より抜粋
「ううん……もちろん比喩なんでしょうけど、感情的な表現が多いですね」
「ところが、単なる比喩とばかりも言えないんです。実際に、株式 市場での値動きを見ていると、きわめて情緒に流されやすく、衝動 的に行動する女性ばかりが売買しているように見えてくるから不思議です。……いや、女性蔑視のつもりはありませんけどね」
早苗は軽く高梨をにらんだ。
「女性イコール感情的だというのは、偏見ですよ」
「その通りです。実際、株式投資を行っているのは、大部分が男性ですから。それも、かなりの知識と経験を積んだ人々が多いはずなんです。にもかかわらず、彼らの行動は、非常にヒステリックで気まぐれです。まるで、暗闇の中で右往左往している群衆のような感じですね。ちょっとしたデマが飛んだだけでも、たちまちパニックに陥る」
人間というのは、一人一人は賢くても、群衆になったとたんに愚かな行動をとる傾向がある。株式市場の熱気は、人の理性を麻痺させる効果があるのかもしれないと、早苗は思った。
- 『コンセント』P.4 より抜粋
2) 結末の風俗嬢になって疲れたサラリーマンを癒す主人公の設定 パクリ元->『十三番目の人格(ペルソナ)-ISOLA-』1996年4月発行「株って、俺、全然わからないけれど。面白い?」
よく聞かれる質問だ。株って面白いの? 面白いに決まっている。この世界の裏側を動かしているシステムなのだ。それを知らずに平気で生きているほうが私には不思議だ。
「面白いっていうか、変だよ、すごく。相場って動かしているのは男の人なのに、ヒステリックな女みたいに感情的なの。上がり下がりが激しくて少しの刺激でカッとなって、そのくせ勘がよくて未来を予知したり、世界規模のシンクロニシティを起こしたりする。経済って結構オカルトかも。
株式相場を「感情的」「ヒステリック」と表現したのは貴志のオリジナル。 ――文学板のカキコミから ---------- >株式市場のエピソードだけなら、まあよくある描写だと思うんですけど >結末に至ってのISOLAとの相似はちょっと真似が過ぎたように、かねてから >思っていたんです。 ---------- >じつは私、株で生計を立てておりまして、相場関連の本は毎月3冊程度は >コンスタントに読んでおります。 >で、相場に心理的な分析を用いた例を紹介した本は >NHK出版「マネー革命」(テレビで特集されました)のビクター・ニーダフォッファーと >その弟の相場テクニック。(一日で50億失った男、の回) >でも、それには心理的に動くとは書かれていても、貴志さんの描写にソックリなのは >読んだことがありません。たぶん貴志さんオリジナルではないかと。 >じつはまあ、この描写が特に気に入ったワケで「天使の囀り」を読んだわけです。
○例文その1:
- 藤森直子著『Fuckin' Blue Film』(ヒヨコ舎刊) P.132より抜粋。
拡張は何もアナルに限らない。尿道だって拡張できるのだ。今日は久しぶりに尿道プレイを満喫。
やっぱりボールペンの芯じゃなくて本体ごとずっぽり見事に入ると、M男も女王様も共に満足感を覚えるな。「ボクはヘンタイです」と、尿道に入ったままのボールペンでお習字をさせてみた。これって、男版花電車か? いやー、愉快愉快。思わず、自分が女王様ということを忘れて拍手しそうになってしまった。チンコで字を書くんだからすげえわ。
せっかくなのでアナルにマジックペンも入れさせた。こんどはケツ習字だ。
「これは、ケツの穴にマジックペンを突っ込んでかいた字です。ボクは恥ずかしいヘンタイです」と書かせる。けっこう達筆なのが笑える。
- 田口ランディ著『アンテナ』(幻冬舎刊) P.114 より抜粋。
女王様は罵倒し続ける。ようやく男は、筆ペンを自分のアナルに押し込んだ。
僕は思わず覗き窓に目をくっつける。筆ペンは、なんとその三分の二も男のアナルに吸い込まれていた。再び笑いの発作が僕を襲ってくる。僕は自分の腕に爪を立てて痛みで笑いをこらえた。
「ふっふっふ。なんて醜い格好かしら。お前は正真正銘の変態だわね。じゃあ、お前、この紙にその筆ペンで『変態』と書いてごらん」
男は女王様が投げ捨てた半紙のところにがに股で歩み寄る。筆ペンが尻の穴に入っているのでカニみたいな歩き方になるのだ。そして、半紙の上に腰を落とし、ヒンズースクワットのような体勢で字を書き始めた。『ヘンタイ』とカタカナで書いたようだ。
○例文その2:
- 藤森直子著『Fuckin' Blue Film』(ヒヨコ舎刊) P.23より抜粋。
こんなんでお金をもらっていいのかなあと思ってしまう。二時間コースの最中、私はほとんど何もしない。鞭もバイブも出番がない。最初にM男をロープで縛って、そのまま時間いっぱい放置する。それだけ。
このお客さんは常連で、いつもこれしか希望しない。ラクといえばこんなラクなフレイはないが、あまりにもラクすぎる。
「おまえなんか、かまってあげないよ。ここで一人さみしく、ねっ転がってな。だーれも助けになんか来てくれないんだからね。一人ぼっちで、ずーっとここにいな。私ももう戻って来ないかもね。おまえのことなんか忘れちゃうかもしれないなぁ(微笑)。忘れちゃったらごめんね」と、私は部屋を出る。
冷房なんて奴隷の分際で贅沢よね、とクーラーのスイッチも切ってしまう。
わー、すげーイジワルー。でも、こういうイジワルが私の仕事なのである。
《中略》
残り時間が三十分になったら、部屋に戻る。ボンレスハムのように無様なぐるぐる巻きのM男のロープを解く。ロープがぐっしょりと汗を吸っている。もともと太っている人なので汗をかきやすい体質なのだ。
- 田口ランディ著『アンテナ』(幻冬舎刊) P.116 より抜粋。
女王様は男の体を縄で縛りあげる。さすがに素早い。男はボンレスハム状態になって床に転がる。肉に縄が食い込んで皮膚がパンパンに盛り上がる。
「さあ、これでよし。もう金輪際、お前みたいな出来の悪い子にはかまってあげないよ。お前は独りぼっち。独りぼっちの悲しい変態」
ボンレスハムになった男は、それでもまだアナルに筆ペンを差している。
「お願いです、一人にしないでください」
「ふんっ、偉そうな口をきくんじゃない。ここで一人で寝っころがってな。 いいかい、お前がここにいることは誰も知らないんだよ。誰も助けになんか来てくれない。ずーっとここに一人でいるのさ、ふふふふ。私も忘れちゃうかもしれないから、お前はここでひからびて死んでしまうかもねえ、ほほほほほほ。誰にも知られずひっそりとお前が死んだら、お前のおケツに赤い薔薇の花でも差してあげるわ。じゃあね、バイバイ」
泣きべそをかいている男を置いて、高笑いをしながら女王様は部屋を出ていってしまった。
《中略》
女王様はクーラーの電源を切ってしまったらしい。これもお仕置きなのか。 部屋の温度は急激に上昇していた。
※『アンテナ』映画化関連の、サイバッチのこれは誤報のようなので、こちらも必ずお読みください。
○一人称で自分を呼べない人の比較
- 藤森直子著『Fuckin' Blue Film』(ヒヨコ舎刊) P.72より抜粋。
そのM男は、一人称を使わない。自分のことを「俺」とも「僕」とも「私」とも呼ばない。
「僕は」「私は」と言うかわりに、彼は自分を指さす。例えば、「あ、僕もそう思います」と言う時には、人さし指で自分を指さしながら、「あ、そう思います」と言うのである。彼の一人称は常に「指」なのだ。
「ね、前から気になっていたんだけど、あなたは自分を一人称で呼んだことないよね? いつも指で自分をさすよね?」と訊いてみた。
「昔から、小さい時からそうなんですけど、『僕は』とか『俺は』とか言うのが恥ずかしいんです。こんなの(指一人称)だけだと思うんですけど、何かとても エラソーな気がしてしまって」と彼は言った。
- 田口ランディ著『モザイク』(幻冬舎刊) P.39 より抜粋。
一切の一人称を使わない軽度の分裂症患者がいた。
彼は自分を示す言葉を使わない。自分のことを表現するときは無言で自分を指さす。恥ずかしそうに、まるで存在するのがおこがましくて申し訳ないと思っているみたいに俯いて自分を指さす。
私は青年が決して「私」とか「僕」とか「俺」という一人称を使わずに、ごっくんと言葉を飲み込んで黙って自分を指さすのを、とても好ましく思っていた。
※ランディはなぜか、オウムについてのコラムに、彼らは一人称を使わない人たちだという珍説を披露してもいる。
○冷蔵庫に時計をしまう
- 藤森直子著『Fuckin' Blue Film』(ヒヨコ舎刊) P.41 (「八月の冷蔵庫」八月十五日) より抜粋。
私はジイチャンのことを思い出した。晩年のジイチャンは完全にボケてしまった。家の中のありとあらゆる小物をジイチャンはせっせと冷蔵庫にしまう。冷蔵庫を開けると、目覚し時計は出てくるわ、スリッパは出てくるわ、クマの置物はでてくるわ、まるでマジックショーだった。でも、そこから出て来る冷えた目覚まし時計私はなんだか大好きだったな。
- 田口ランディ著『モザイク』(幻冬舎刊) P.86 より抜粋。
気にするなと言われても、祖母の行動は日増しに異様さを増していた。 冷蔵庫の中に時計や枕をしまい込む。
藤森直子氏からのパクりは、様々な媒体で報道されました。以下に挙げたもののほかに、産経のニュース速報などもありました。(参考)
その後、Webにアップされたと思われる順に、当事者およびサイバッチの意見を並べると:
> 私にとって決定的に大事な人は私の心の中に入っ >てくることができるから。でも、単にヤな人が私の >心に手出しするなんぞ絶対にできないし、手出しな >んかさせるものか。
上の書き込みの全文と、この件についての2ch での反応は、一般書籍板のスレ Part 25 の 18〜21にまとめられています。
速報板より : 517 : :02/04/09 02:35 ID:B7P6m9VA まさかと思ったらやってくれました、幻冬舎さん。 http://www.gentosha.co.jp/news_topics.html から、著作権侵害の「お知らせ」は消えているし、 http://webmagazine.gentosha.co.jp/concent/info.html は、ファイルごとあぼーん。 嘘エッセイに続いて田口先生の繰り出した謝罪エッセイは、もう http://natto.2ch.net/test/read.cgi/books/1017756483/8-12n など、2chのスレでしか読めないのでしょうかー!? たった一週間のセコい謝罪……。
ネットウォッチ板のスレより 71 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/05/05 00:44 ID:3WHAazgk ランディの謝罪風エッセイが、今度こそ本当に、幻冬舎のサイトから あぼーんされている。 最初は一週間で消し、一ヶ月経ったら本当に消した、と。 72 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/05/05 21:24 ID:ZZRE6+Gc 文庫版アンテナ、モザイクが発売されて流通してるあいだは 掲載しておくべきだよね>謝罪文 まだ文庫が発売されてもないのにアボーンってどういうこと?
- 押川剛著『子供部屋に入れない親たち -精神障害者の移送現場から-』(幻冬舎刊) P.161 より抜粋。
凶器は性器(ペニス)の象徴
このモヤモヤが爆発したときに、手にしたものが刃物だった場合、それは まさしく性器(ペニス)の象徴と言えるでしょう。
心の中で暴れている衝動を抑えようとするには、男性ならば相手に、女性だったら自分に、性器(ペニス)の象徴である刃物を突き刺すしかないのです。 その行為は、まさに「セックス」そのものと言えるでしょう。
- 田口ランディ著『モザイク』(幻冬舎刊) P.57 より抜粋。
「なぜ、女性は自分に刃物を向けるんですか?」
移送を終えた車の中で、私は有吉に聞いてみた。
「刃物は男性の性器みたいなもんだ。男なら相手に向ける。女なら自分に向ける。お前は女で美人だからな、そのうち男から刃物を向けられることもあるかもしれん。それは、お前を犯したいっていう内なる欲求だ」
人間は、そんなに単純なものなんだろうか。しかし、彼は経験に基づいて語っている。一面で事実なのだろう。
- 押川剛著『子供部屋に入れない親たち -精神障害者の移送現場から-』(幻冬舎刊) P.89 より抜粋。
「具合も悪そうですよ。おじさんが今助けにいきますからね」
私は彼女の気持ちになって考えてみた。何人もの大人から病院へ行けとばかり言われていれば、Gさんはいじめられているような気がしてくるのではないか。彼女の心理状態を考えれば、「助けにいく」という言葉が一番彼女の心に届きそうだと思えた。
私がドアを奥に押すと、衣装ケースのバリケードは何の役にも立たなかった。
ドアが開くと同時に、私はすばやく彼女に歩み寄った。
「こんなもの持っちゃ駄目だよ」
そう言うと、私はGさんの手にある果物ナイフをつかんだ。彼女は魔法にでもかかったように、簡単にナイフを手放した。
- 田口ランディ著『モザイク』(幻冬舎刊) P.57 より抜粋。
入っていくと逆上して咽元に果物ナイフを向けていたという。「律子さん、助けにきましたよ、もう大丈夫だ」と名前を呼び話しかけ、「一人で恐かったでしょう」といたわりながら近づいてナイフを取り上げると、あっけないほどおとなしく有吉に抱きつき、泣きだしたそうだ。
田口ランディ「恋人たち」と岡崎京子の「うまくいってる?(ヘテロシェクシャル-角川文庫)」のラストが激似。
プロポーズされた女が「本当にこの男が伴侶で良いのか?」と悩むクダリが似てる。 婚約者の男が女の部屋に上がって、ネクタイなんかとってラフな格好になる。 女はそんな亭主きどりに腹がたち怒りを男にぶつける。で、最後は抱き合う…
[比較]
-岡崎京子「うまくいってる?」
散らかった部屋に鳴る玄関ブザー
男(婚約者)「よう!!」部屋のドアを開ける
男「うわっきたねーな。掃除くらいしろよ。どう御両親とレンラクついた?」
女「まあね…」
男「あーつかれたハラへっちゃった。何かつくってよ。軽いもんでいいから」男部屋でくつろぐ
女「スパゲティでいい?」
男「OK。あ、ビールある?」部屋で寝転びながらTVをみる。
- 田口ランディ「恋人たち」
それから男は部屋をぐるんと眺めて、広げっぱなしでとっちらかった旅支度と、膝を抱えた私を交互に見た。
この現状にちょっととまどったみたいに、私の頭をコツンとこづいた。
「何やってんだよ、支度もしないで」
そう言って男は冷蔵庫から缶ビールを取りだし、プシュウッと小気味よい音で開けると一息に飲んだ。それから、着ていた背広を脱ぎ捨てると、ランニングにパンツ姿で、テレビのスイッチを入れた。
「腹へったな、なんか食うもんない?」
で、婚約者同士女が甲斐甲斐しく世話するも男の亭主気取りに女がキレる。 そんな女を男が女の微妙な気分に気付きなだめすかしつつ抱き寄せて何となく終わる。
田口短編と岡崎作品の共通点は婚約前の女性が相手の両親に会いに行く前の葛藤とラスト。
岡崎作品では主人公の妹が出来ちゃった結婚で相手は年下のバンドマンという設定。
田口ランディ「エイプリルフールの女」と 山岸凉子「月氷修羅」は、不倫相手の奥さんがいきなり死んで約束をすっぽかされ、それを機会に相手とのことをいろいろ考えるという設定が類似。
山岸凉子「銀壷・金鎖」は、自分の幼い頃、男と駆け落ちしてしまった母親を持つ娘が主人公で、母親の事は許せないけど、「何もかも捨てて俺のところに来い」と 両腕を広げて全部受け入れようとしてくれた男がいるから、母は愚かな女になれたのだ、自分はそういうことを言ってくれる男ととうとうめぐりあえなかったので母に激しく嫉妬すると言い、 ついでに、煮え切らない態度の不倫中の男とも別れる決心をするお話。
- 田口ランディ「夜桜」
「よかないけど、とにかく子供置いついてこいって、昌男さんが言ってくれた。子供は学校行ってるから連れてったらかえってかわいそうだって。引き取るのは落ち着いてからでも遅くないって。絶対後悔させねえからって……」
「そっかあ。なんだかうらやましいなあ。私、いっぱい恋したけど、そんなこと言ってくれる男なんか一人もいなかったよ。もしかしたら、すごくいい男見つけたんじゃないかなあ」
ネット汚物・田口ランディは盗作ゴリラPart3の 780 と 781 を参照。
「リサイクルはさせない」ですか、これもある意味ひどい。 船戸与一さんの言葉の引用は、「去年、数ヶ月に渡って〈略〉フン・セン政府 の説明はない」「ヘイローのようなNGOも、〈略〉縮小している」の二ケ所だけ かと思ったら、 > それはカンボジア政府が「地雷撤去」という人道的名目で、世界の先進国 >からお金を自分の懐に集めたいからだろう。経済の復興の見通しが遠いカン >ボジアにとって、地雷は半永久的に埋まっていて欲しいものなのかもしれない。 も http://bunshun.topica.ne.jp/z_funado/funado02.htm に書かれていること の焼き直しみたいなもんじゃないですか。 》 もっと意地悪く言えば、フン・セン政府にとって地雷撤去を急いではなら 》ないという事情があるのだろう。一年に何十人かが地雷を踏んで死ぬか負傷 》してもらわなければ困る。地雷撤去のための国際的な援助金はいまやカンボ 》ジアにとって重要な収入源なのだ。完全撤去はその断絶を意味する。カンボ 》ジアには人口と同じ量の地雷が埋まっていると発表したフン・セン政府に 》とって地雷の悲惨さは半永久的につづいて欲しいのかも知れない。 前半の明示的に「」でくくっていない部分も、船戸与一氏の 文章の引用っぽい。 > 地雷撤去によって回収された地雷が、再び別の場所で(クメール・ルー >ジュなどに)地雷として使用されたりするのを怖れて、カンボジア政府は >シーマックという政府の地雷撤去機関以外の者が地雷撤去をすることを禁止 >したそうだ(ヘイローのようなNGOを除く)。 は、http://bunshun.topica.ne.jp/z_funado/funado02.htm の 》 現在、カンボジアでは撤去技術を持つ人間が地雷を発見したとしても、 》勝手に撤去してはならないことになっている。それは法律違反なのだ。 》強行して逮捕されたクメール人もシェムリアップにいる。撤去した地雷が 》クメール・ルージュのような連中に渡ったら、どうなる? その地雷が 》ふたたびどこかに敷設されたら、カンボジアの危機は永久につづく。これ 》がシーマック以外の地雷撤去禁止の理由だった。 を稚拙にリライトしたように見えてしまいます。
インターネット・コラムなどで人気がある作家の田口ランディさん(42)が、直木賞候補作となった小説「モザイク」の一部に無断使用があると指摘され、著作権を侵害したと認めていたことが分かった。田口さんは謝罪し、作品の一部を書き換えることで合意した。
《略》
著作を使用されたと指摘したのは、神奈川県の整体師・片山洋次郎さん(51)。94年に出版され、「気」と身体とのかかわりを解説した「気ウォッチング」(日本エディタースクール出版部刊)の一部が、「モザイク」に似通った表現で引き写されたとした。
「気ウォッチング」では、「気」の側面から他者に共鳴しやすい人の特徴を「持久力がない(疲れやすい)」「エネルギーの集中が持続せず発散しやすい」など47項目が個条書きにまとめられていた。
田口さんは、この部分を使用。少年と主人公との共通点として「持久力がなくやたらと疲れやすい。運動会でパッとしない奴だ。エネルギーの集中が持続できず発散しやすい」などと会話の形で書いた。
すでに刊行されている版を絶版とするとともに、書き直した版を文庫本として発行とのこと
- 『モザイク』 P.208社会のシステムが巨大化するほど情報量が増え、知覚的に眩惑されているけれども、身体の共鳴は生きているし、より必要とされている。人と人との間に成立する「妥当」は、“共鳴”を暗黙の前提とした上での知覚、言語上の儀式であって、“共鳴”というつながりに裏打ちされていなければ何の力もないのである。
言語的コミュニケーションは、共鳴的な場を保たせるための表技であり、共鳴的な場を創り出す“間合い”をつかむ裏技としての“体術”が必要とされているのだと思う。
人が人として生きていくためには、他者との共鳴が必要だ。他者と関係しないでこの社会を生きていくことは困難だ。言語的コミュニケーションは確かに有効だが、それは他者との約束事を共有するための、いわば表技だ。早い話が場を保つために必要なものであり、本質的な他者との共鳴的には身体感覚をベースにした非言語的なコミュニケーションが必要となるのだ。
以下に挙げる分が、報道された「エネルギーの集中が持続できず発散しやすい」などを含む箇所。
- 『気ウォッチング』 P.32-33- 『モザイク』 P.156共鳴性の高い人には次のような特徴がある。
〈身体の特徴〉
・関節が柔らかい(とくに手首)、幼児の手首の感じ
・乳、幼児のときにあまり泣かなかった=サイレントベビー
・とくに幼児期は親からみて、おとなしくて手がかからない子どもである
・持久力がない(疲れやすい)
・エネルギーの集中が持続せず発散しやすい
・アレルギー体質である場合が多い
・身体症状が過敏である
具体的にねえ、そうだなあ。俺らの特徴は、まず、赤ん坊のときはあまり泣かないってことだな。生理的欲求が低い。おとなしくて手がかからない赤ん坊だったと言われる。昔はいい子だったのにねえ、と母親がよく言う。持久力がなくやたらと疲れやすい。運動会でパッとしない奴だ。エネルギーの集中が持続せず発散しやすい。ちょっと没頭すると知恵熱とか出す。アレルギー体質で、すぐに蕁麻疹がでる
元の掲示板ログが残っているのはここ。「投稿日:2000/08/03(Thu)」で、『モザイク』が発売された 2001 年 4 月よりも 8 ヶ月も前。ランディが『モザイク』という題名を予告した幻冬舎のページを書いたのは 2000 年 6 月のため、題名をベースにあちこち捜してたどりついた可能性大。
掲示板に書き込まれた「モザイク」のプロット:
内容は、連続通り魔殺人事件を起こした少年が、警察に逮捕され、
移送されるときに警察官から拳銃を奪い、逃走し、主役の女性刑事が
追跡すると言う内容だった。
ランディ版「モザイク」のプロット:
内容は、引きこもりの少年が、精神病院への移送を親に依頼され、
移送されるときにトイレに行きたいと言って車を降り、逃走し、主役の女移送屋が
追跡するという内容だった。
なお、追跡する女主人公は武道が得意、きれいごとの嫌いな (ランディ版だと「露悪的な」) 上司など、人物設定もかなり似ている。( ※人物の名前はアニメなどのパロだが、人物設定自体はアニメからの引き写しではないとのこと)。
187 :吾輩は名無しである :02/02/17 10:34 http://news.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1013824189/の書き込み。 -------- 148 :他にも… :02/02/16 22:41 ID:T5MtGpva 田口氏が出した新刊で「根をもつこと、翼をもつこと」というような 題名の本があるけど、この言葉も真木悠介氏の「気流の鳴る音」で キーワードとして使っている言葉。明らかにこのフレーズは真木氏の 特許的な言い回しであるにもかかわらず、田口氏は、このことに いっさい触れていない。あとがきに、一言くらい感謝の意を書いても よさそうなものを… ------- ざっと検索した限りでは、確かに真木悠介氏の「気流の鳴る音」には、 「根をもつことと翼をもつこと」という章の題名(?)があるらしい。 http://www.google.com/search?hl=ja&q=%90%5E%96%D8%97I%89%EE+%8BC%97%AC%82%CC%96%C2%82%E9%89%B9+%8D%AA+%97%83&lr= 188 :吾輩は名無しである :02/02/17 10:38 追記。 >明らかにこのフレーズは真木氏の >特許的な言い回しであるにもかかわらず、 というのは、 http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~lckabe/notes1.htm での引用方法からもうかがえる。 》呪術師になろうとするカスタネダにとっての課題は 》「根をもつことと翼をもつこと(3)」(真木)であっ 》たし、ユングもその優れたテクスト(4)の中でそのこ 》とを語る。 》(3)真木悠介『気流の鳴る音』1977, 筑摩書房。
なお、ランディは、「ありのままの世界」の「世界の見方を変えた3冊」のうち 1 冊に、「『気流の鳴る音』(真木悠介)」を挙げている。
それにしても、反対側の報道される立場に立つと、逆にいろんなことが見えてくる。この2年間で、私は全く違う世界をのぞいてしまった。
怖くなる。どうしてこんなところに来てしまったんだろうって。
でも、もう見てしまった。いろんなこと、いろんな悪意、いろんな醜さ。
これまで、なんて平穏な場所で40年も暮らして来たんだろう。
これも、世界なんだ。
すごいことだ。世界にはなんでもある。
岡崎京子著『pink』
「この世では/何でも起こりうる/何でも起こりうるんだわ/きっと
どんな/ひどいことも/どんなうつくしいことも」
岡崎京子著の『リバーズ・エッジ』
ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。
パクりかどうかは微妙ですが、ランディに詩・ポエムのセンスが欠落していることを示す比較例にはなっていると思います。「世界にはなんでもある」は、「世界には何でも落ちている」のセルフパクり (= 使い回し) という説もあります。
『Underground』の帯に書かれているのは、
東京・渋谷。地底5メートルにひそかに流れる闇の川がある。
『モザイク』P.272には、
そしてこの川は忘れられ、渋谷の地下五メートルの闇の中に封印された。
渋谷の地下五メートルの川、という題材の選択自体が畠山氏のオリジナリティを示すものですが、写真集の中の文章も、『モザイク』の中でパクられています。
- 畠山直哉『Underground』P.28
傲慢にも光は母なる闇に闘いを挑み
地位の来歴を争い、空間の取り合いをやっていますが
光に勝ち目なしです。〈略〉
ゲーテ「ファウスト」 前田富士男訳
- 田口ランディ『モザイク』P.270
光が闇に飲み込まれていく。
ほんとの闇の中では懐中電灯なんて役に立たないんだ。足下を照らし出すのがやっと。なんて弱い光。あっという間に闇に塗りこめられてる。闇の力を私は初めて知った。闇は光を食らう怪物みたいだ。
- 畠山直哉『Underground』P.3
長靴のゴム越しに水の冷たさを感じながら、一人で川を遡っていく。水は薄くゆっくりと流れている。〈略〉
川の上流には洞窟があった。〈略〉僕は灯りも持たずに、 興味本位でそのままゆっくり洞窟に入って行く。僕の目は次第に役に立たなくなってくるが、それでも長靴はまだ大丈夫だ。足元に集中しながら、少しずつ闇の中を行くと、ふと何か弾力のある「壁」のようなものを体の前に感じ始め、それ以上は何となく進めなくなってしまう。
真っ暗な空洞にぼんやりと立ち、辺りを見回してみるが、視野のすべて、光の刺激は完全にゼロで、目を開けているのに、つぶっているような。
- 田口ランディ『モザイク』P.270
足下を浅く水が流れている。ショートブーツの中に水が染み込んできて冷たい。ときおり、遠くの方からごおごおと水音が響く。 この川の上流、はるかかなたで水門と繋がっているのだろうか。振り返ると、コンクリート・トンネルの入り口の方には渋谷の明かりが見える。ヘドロの膜が張った濁った水面に高速道路の電球が反射している。だが、ここから先は正真正銘の真っ暗闇だった。
そして『Underground』の P.8には、上半分が歩道橋と高速道路、下半分に渋谷のビルやその灯りを映す川面、中央に「闇の川」の入り口らしい黒い穴のようなものが写っている写真があります。
それから、コウモリやドブネズミの糞から生えるカビの描写も似ています。
- 畠山直哉『Underground』P.5
ガラスを溶かして空中に何度も引き伸ばしたような形のそのカビは
- 畠山直哉『Underground』P.7
光を当てるとガラスのようにキラキラと光るこのカビは、自分がそんな美しい姿を
しているということを、知らないままだ。
- 田口ランディ『モザイク』P.273
近寄ってみると、そこには奇妙な植物が棲息していた。菌なのだろうか、植物なのだろうか。長い茎の先に銀色の細い繊維がたくさん生えている。
畠山氏が「ガラスのようにキラキラと光るこのカビ」というのは、写真集 P.57 の写真のカビのことのようで、「銀色の細い繊維がたくさん生えている」ものが写っています。
- 畠山直哉『Underground』P.4
足元の水も僕の両手両足も、こうもすべてが真っ黒で見えないと、それが在るかどうかさえわからなくなる。いまかろうじて僕が「在る」と信じることができるものは、こうしてものを想う僕自身の「意識」のみということになるのだろうか?
僕には光が必要だった。自分の体と空間を取り戻すために。
- 田口ランディ『モザイク』P.274
不思議な気分だった。闇の中にいると、自分の肉体は消されてしまう。光があるから物質が見える。光によって物質は存在させられている。
いま、この地下五メートルの深い闇にあって、私はもう私ではないような気がした。自分の身体が見えないと自分を空間の中に位置づけ、イメージすることができなくなる。
「チカチカと白い強烈な光が点滅」と「てんかん」など、『BRAIN VALLEY』の主要モチーフが、ちくま Web サイトで連載中断中の『calling』に。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』下 P.72
はじめのうち、光はランダムに瞬いた。だがしばらくするとフラッシュの感覚が次第に狭まり、やがて連続していた閃光となった。光の世界に突入したような感じだった。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』下 P.94
もしかしたら、と孝岡は思った。ラファエロは、キリストの変容をてんかん者の幻覚と同一に捕らえていたのではないか?
てんかん者は発作時に幻覚を見る場合がある。宗教体験をする者も少なくない。一方、キリストの変容を見た三人の弟子たちの状況はどうだったか? てんかん様の発作 によって、あたかもキリストが光に包まれたような幻覚を見たのではないか?
- 田口ランディ『calling』の第一回目
急に呼吸が苦しくなってきた。記憶が消えたことに気がつくと、僕はいつもひどい呼吸困難に陥るのだ。なにかもどかしくて息苦しくて胸をかきむしりたくなる。
そして頭の中でチカチカと白い強烈な光が点滅し、僕の意識はストロボをたかれたみたいに細切れになってしまう。
僕は机の抽き出しから、先生がくれる薬を取りだした。そして慌てて飲み込んだ。本当は二錠なんだけど、怖くていつもたくさん飲んでしまう。癲癇の薬なのだと先生は言っていた。この薬で死ぬことは絶対にないから安心だと言っていた。
『BRAIN VALLEY』での主人公孝岡の息子(裕一)と「パートナー」の男性との絡みと、『アンテナ』で主人公の男 (「僕」こと祐一郎) と、TV局の男 (相馬) の濡れ場 (P.155) も似てます。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』下 P.124〜125
その手をパートナーがおさえた。
唇が、重なってくる。
「……あ」
その軽い呻きも、パートナーの舌によって封じられた。パートナーの舌が、裕一の前歯の裏側をゆっくりと擦っていく。うなじのあたりにぞくぞくするような快感が閃った。パートナーの舌はいつも感じる。
このところ、しばらくしていなかった。
裕一はパートナーの腕に凭れながら、舌を動かした。口の中で互いの舌が絡まり合う。パートナーの手が胸のあたりを探ってきた。〈中略〉緩やかに、緩やかに、胸を撫でられる。痛いような、くすぐったような感じがする。
そして乳首の先に指先が当たったとき、裕一は声を上げ――。
- 田口ランディ『アンテナ』 P.154〜155
いきなり、相馬が僕の体に覆いかぶさってきた。
〈略〉
それから、相馬は僕を両腕で押さえ込むようにして唇を重ねてきた。混乱してる。舌が触れあうと、どうしようもなく貪ってしまう。
ああ、と相馬は呻き声を漏らした。
〈略〉
相馬の手が僕の胸をまさぐる。二人のアンテナが触れ合う。
それから、こういう箇所も。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』下 P.288
孝岡は歓喜の声を上げた。鐘の音に被さるようにして、今度はパイプオルガンの響きが天井に谺したのだ。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』下 P.290
身体のあちこちに蓄積していた澱や汚れが消え失せていく。抹消の細胞ひとつひとつにまで赤血球が運搬され、ヘモグロビンから酸素が供給されているのがわかる。
- 田口ランディ『アンテナ』 P.161〜162
頭蓋骨の天蓋にパイプオルガンが鳴り響く。
崩れ落ちていく。僕は変容している。何か別のものへと。確実に。
身体がほどけていく。
固い殻のように僕にまといついていた緊張した末梢神経がほどけていく。
そして、不思議な力が流れ込んでくる。僕を満たしていく。
『BRAIN VALLEY』でニューエイジ系の悪役が語る内容と、『アンテナ』のSMの女王様がサイトに載せる文章の内容も似ています。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』上 P.422
ごく普通の人間が、たった一度の臨死体験を境に、慈愛と奉仕の精神と向学心に満ち溢れた素晴らしい人格へと変化する。霊的 (スピリチュアル) なものへの関心が昂まり、単一の宗教よりも全人類的な宗教を欲し、地球と宇宙の心理を求め始める。その変化は強力で、しかも劇的だ。決して元に戻ることはない。ひとたび神の光と愛に包まれた者には、意識の目覚めと成長が起こるのだ。彼らの精神は、蛹が羽化して蝶になるのと同じように、完全なる変貌を遂げる。臨死体験者の表情を見たことがあるかね。内側から輝いているのだ。生まれ変わったといってもいい。彼らの姿は新しい人類の誕生を連想させるのだ。彼らは我々より一足早く進化した新しい人類なのかもしれない。
- 田口ランディ『アンテナ』 P.175 またはここ
強い人類愛、強い正義、そういった感情にも感応し、自己犠牲をいとわず奉仕に携わることもあります。すばらしい芸術、音楽、ダンス、ア−ト、そのようなものに触れると強い至福感、時にはエクスタシ−を感じることもあります。
- 瀬名英明『BRAIN VALLEY』上 P.424
ライアル・ワトソンがこの現象に目をつけ、おもしろいことを書いている。幸島でイモを洗うサルの数がある閾値を超えた時点で、『イモ洗い』という形態は臨界質量を通過する。その閾値を超えると島全体のサルがイモ洗いを行うようになるばかりか、他の群れでもイモ洗いが自然発生するようになる。この閾値を、ワトソンは仮に一〇〇匹目とした。このアイデアは後に『一〇〇匹目のサル』という呼び名で広く知られるようになる。つまりこういうことだ。ひとりひとりの意識が集まり、ある閾値に達すると、その形態は広範囲に伝播し、真実となって現れる……
- 田口ランディ『アンテナ』 P.176 またはここ
もし『コンセント』が世界中に溢れたら、私たちは『ひとつの望み』を伝えあうことができる。〈略〉
私の友人が『百億という単位が次元のゲ−トだ』と言いました。脳細胞は百億を越えたところで意識を持ちました。なにかにつけて百億という数を越えると、そのもの自体がある質的変容を遂げるらしいのです。だとしたら、百億人を越えた時に、人類は質的変容を遂げるのかもしれません。その時、コンセントが地球に何人いるのだろうか……と考えたりします。
これらの箇所は、文庫版『アンテナ』では、すべて削除されています。
『コンセント』と『蝶の皮膚の下』とは、性行為の最中に相手の過去や心の中で思っていることがわかってしまうという設定、様々な情報が本人の処理能力の限界以上に流れ込んでくるくだり、匂いや気配へのこだわりとかが似ていますが、文章比較として挙げることのできそうな箇所は見つかっていません。例外は、以下の箇所。
- 赤坂真理『蝶の皮膚の下』 P.3
湧き上がる痒みにも似た快感に私は声を漏らし粘液を滴らせている。
- 田口ランディ『コンセント』 P.145
痒みにも似た欲情を感じて私はゆっくりとモアイに跨がり
『蝶の皮膚の下』は1997年3月初版で、『アンテナ』の2000年10月に先行すること3年半。
- 赤坂真理『蝶の皮膚の下』 P.64
私は一本のペニスでつるつると均質な面を持ち内側から白く発光していた。世界にたった一本高く立つアンテナ。
- 田口ランディ『アンテナ』 P.147〜148
「アンテナが触角だとしたら、それは人間でいうとどの部分になるんだろう」
祐弥は頭にあると言った。
「そりゃ、やっぱりチンポでしょう」
相馬らしい意見だ。確かにペニスは肉体に突き立ったアンテナのようだ。
- 赤坂真理『蝶の皮膚の下』 P.87
吉岡が私に触ろうとする。その前に空気中を触手のようなものがのびてきた。
- 赤坂真理『蝶の皮膚の下』 P.88
私も自分の触手を操ってみる。私のはわずかにピンクがかっていたが基本的な働きはいっしょだった。すべての意識を針の先より細く鋭く集めると吉岡の中心に打ち込む。
- 田口ランディ『アンテナ』 P.226
「大丈夫か?」
祐弥は目を閉じて頷いた。そして頭を指差した。
「ほら、アンテナが触れあってる」
たぶん気のせいだろう、心なしか頭のてっぺんがムズムズする。
『アンテナ』では、直線的な固体であるイメージが強い「アンテナ」と、くねくねと伸び縮みしたり動いたりする「触角」との合体に違和感がありましたが、『蝶の皮膚の下』に別々に記述されていたもの同士をつぎはぎして、ひとつのものにしてしまったせいだったとすれば、すっきりと説明がつくような気が。
どちらも夢の中、主人公の身体から植物の芽が生えてくる場面が酷似。
- 田口ランディ『7days in BALI』 P.92
どういうわけか顔のあちこちに、小さな植物の芽がふいているのだ。ひょろひょろしたカイワレダイコンのようで、芽の先がうっすら双葉になっている。それが、頬や、鼻の下や、口元から伸びている。
山岸凉子氏の『ダフネー』では、顔からではなく手から蔦が生えてくるのですが、生え始めたばかりの、双葉のついた芽の様子が「ひょろひょろしたカイワレダイコン」のように描かれています。また、主人公の笑いながらの独白も類似。
- 田口ランディ『7days in BALI』 P.92
くくくくく……。こらえきれなくて一人で笑った。笑っている自分がさらに可笑しくて、ついには声を出して笑った。(中略)私はやっぱり頭がどうかしてる。でも、一人で笑ったっていいのだ、泣いても、怒ってもいいのだ。
- 山岸凉子『ダフネー』 P.224
うふふふ…/なぜいけないの/蔦になって/しまうのが
楽よ/このままのほうが/気持ちがいいわ
主人公の境遇も、熱心な母親に小さい頃からピアノを習わせられたこと、いいところまでいったが行き詰まってしまったこと、心因性の病(『ダフネー』では手が震え、『7days in BALI』では解離の症状)に苦しんでいることが共通。
(※ この項の文章は、『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』で、該当箇所の文章を書いた織田のり子さんによるものです。本の109〜110ページに載せたものは、これの簡略版です。また、項目中の「筆者注」も織田さんによるものです)。
「つまさきラプソディ」と山口洋子『恵比寿アメリカ橋』(『東京恋物語』収録 講談社 昭和60年)、『靴を買う女』(『雨になりそうな風』収録 新潮社 1990年)との類似点
全体のプロットが『恵比寿アメリカ橋』に酷似している。
夫と死別し、子どものいる38歳の女が9歳年下のいい男と再婚する。二人は男が学生時代から憧れていたという恵比寿の「アメリカ橋」近くに、センスのいい新居を構える。男は女に、いつもタイトスカートでいることを強要する。物語のラストで男は女を全く愛していないことが発覚する。彼は趣味のいいインテリアにふさわしい装飾品として、女と結婚しただけだった。女はそれを知って幻滅する。(『恵比寿アメリカ橋』)
女は自分に不釣り合いなほどのいい男とつきあっている。男は自分がプレゼントしたハイヒールを女が履いてこなかったために、女に興味をなくしてしまう。女はそれを知って、男と別れる決心をする。(「つまさきラプソディ」)
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
しかもその送り主は、私がこの先、一生涯かけて自分に磨きをかけ、エステサロンと美容院に全財産を投じようとも、獲得することはできないであろう……と思われるほどのいい男なのである。
(略)
襟足が檸檬の切り口のようにすっかあとしていて、オシリはカモシカみたいにつんと上をむいてあがっているのね。二の腕の線は意志のように伸びていて、石膏像のように正しい輪郭の唇をしているの。なんでまた、こんないい男が私とつきあっているのかは神のみぞ知ることであるのだけれど、私なんか今だに彼の顔をまともに見れないもんね。
- 山口洋子「恵比寿アメリカ橋」(『東京恋物語』収録 講談社)
典子は夫の青く、清々しい衿足を見た。
「散髪くらいはいかないと、さ」と照れ笑いをしてみせた竹郎。剃りたての若い男の項(うなじ)は、花嫁の白塗りなんかよりよほどセクシーに違いない。四十近くにもなってこんな瑞々(みずみず)しい衿足を持つ男性と一緒になれる。
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
で、2件ほど回ったあたりから、爪先が痛むの。
最初はがまんできる痛みだったのだけど、昼頃になってそれは明確な主張のある痛みとして私の左足を虫ばみだした。
(略)
夕方までに8丁目までたどりつかなければならないのだが、歩くたびにつつんつつんと爪先が悲鳴をあげるのだ。靴を脱いで調べてみると薬指に血豆ができていた。バンドエイドを貼ったり、ティッシュをつめたりしてみたけれど効果はない。靴の爪先が細すぎるらしいのだ。
(筆者注=余談ながらこの部分だけ、二十五歳の女性の話し言葉とは思えない、硬い文章ですね。棒読みセリフの癖が出ましたか)
- 山口洋子「恵比寿アメリカ橋」(『東京恋物語』収録 講談社)
ひときわ高く盛りあがったウェディングマーチのなかで、典子は履きなれないヒールの爪先の痛みを、そっと反対側の足に移しかえた。
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
「あれ?、あの靴をはいてきてくれると思ったのに……」
ああ、あれはじつは履いていたのだけれどどうにもこうにも靴ずれがひどくって……、とあたふたあたふたと私が説明を初めたとき、彼はふっと顔をかしげて、本当に、ほんとうに初めてのことだったんだけど私は彼のあごにとってもわがままな輪郭を発見してしまったの。
彼はね、私の説明にほんのちょっと嫌な顔をしたのね。それはかすかなかすかな表情の動きで、でもそのときに彼の顔に現われた影がとてもわがままでいじわるに感じられて、私はなんていうか自分の目の前をさあっと雲が通り過ぎていくのが、確かにまちがいなく見えて、気持ちがざわざわするのが押さえられなかった。だってこんな感情は彼に対して初めての体験なんだもの、どうしていいのかわからない。
彼は私に何か言っているんだけど、声がうまく聞き取れなくって、かちちゃかちゃというレストランの快い騒音だけが鼓膜のなかに流れ込んできて、回転舞台みたいに、私の前から世界がぎしぎしと遠ざかっていくの。その時の気分を端的に表現するとしたらこうだ。
(なんか、ムカつくぜ)
さあ、こらこら気を落ち着けて、呼吸を整えて、もう一度立て直すのよ。さあがんばって……。
でもね、でもね「これはなにかのまちがい、これはなにかのまちがい……」と目を閉じて3回つぶやいて、再び目を開けたときにはやっぱり、私が思ってたような素敵な男はもう目の前にいなかった。
- 山口洋子「恵比寿アメリカ橋」(『東京恋物語』収録 講談社)
結婚後、十日、典子は家にいるときも、ずっとタイトスカートを着て暮らしている。
竹郎がぜひそうしてくれというからだ。
たまにはジーンズや、裾のゆったりしたスカートで寛(くつろ)ぎたいと思うのだが、竹郎はタイトスカート以外の典子は考えられないという。さすがにハイヒールまで履いててくれとはいわないが、そんな決まった格好が似合うようなインテリアで、新居の家具調度も調(ととの)えられている。
(略・物語のラストで、典子は竹郎が自分を愛していないことを知ってしまう)
いつかの朝、竹郎がしていたように、窓際に両手をついて下を見下ろした。夜のアメリカ橋は街灯に照らされて、昼間よりももっと不愛想で、さり気ない橋に見える。
なに食わぬ様で、二つの区域にまたがっている都会(まち)の橋。
「なにやってるの、グラス洗ってよ」
竹郎がまた喚(わめ)いている。
「アメリカ橋、みてるのよ」
典子は答えた。
私は人生をやろうとしてるのに、典子は唇を歪めて乾いた笑いを頬に貼りつけた。
竹郎は、東京をやってるだけなんだ。
(筆者注=山口さんの「頬」とランディの「あご」の類似にも注目したいです)
(『靴を買う女』あらすじ)
昭二は新宿の大きな靴店で「舶来品専門の高級(スペシャル)コーナー」に配属されている。そこには正面の飾り棚に外国製の細い足巾の靴が飾られている。その靴はあまりに華奢で、めったに履きこなせる女性はいないと思われた。ある日、その靴にぴったりの美しい女性が来店する。昭二は「持ち合わせもカードもない」という彼女に靴を渡す。女性はその靴を履いて出席したパーティーで富豪に見初められ、靴の代金より多いドル札を持って店に現れる。
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
私はどういうわけか人より足の指が長くて、その靴をはくとほんのかすかに指の叉が見えてしまうのだった。それはなんだかみょうになまめかしくて、夜その靴を部屋で試し履きしながら、なんとか指の叉が見えない履き方を工夫しようとしたのだけれどできなくて、姿見の前でくたくたになってしまった。
- 靴を買う女『雨になりそうな風』収録 新潮社
見れば見るほど美しい靴だ――。
ヒールの細さといい、抉(えぐ)りのカットの工合といい、先のまろやかな尖(とが)りといい、見事な造形美に満ち満ちていて、それはまるで靴というより目も鮮やかに飛ぶ精巧な生物、もしかしたら南国の密林の奥深くに隠れ住む鳥の一種を髣髴(ほうふつ)とさせた。
(筆者注=「つまさき〜」が発表された96年当時、こんなふうに足の甲の大半が見えてしまうようなカットのパンプスは流行していなかった、という指摘もありました。ランディが山口さんの作品を下敷きにした、と考えると納得がいきます。)
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
1995年のクリスマスに、私は生まれて初めて、男から靴をもらった。
- 靴を買う女『雨になりそうな風』収録 新潮社
「ごくまれに一年に数回、例えばXマスの前あたりに単なるディスプレー用としてこういうサイズのシューズを仕入れることがある。むろん売れなくっていい、こいつはガラスの靴なんだから、客よせになれば充分なんだ」
(略)
(客から代金を受けとらずに靴を渡して)昭二はちょっといいことをしたサンタクロースのような気分に浸っていた。
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
靴ってさあ、贈り物としてはエロチックだよね。こういうものって肉体関係を持った男が女に送るものだって思ってたけど、違うんだなあって、(略)そういえば女の値段っていつの時代にも靴1足分の値段なんだって、片岡義男の小説かなんかに書いてあったなあ。靴ってさあ、すっごくフェチな感じするよねえ、これってさあ、やっぱり私と寝たいってことなのかなあ、でもさそうすると服脱がなきゃならないわけで、そんなことはなんだか考えられないみたい。
- 靴を買う女『雨になりそうな風』収録 新潮社
そしてそんな表情をするおまえは、もうりっぱな靴フェティシズムだと大和田にいわれて、そのときに耳馴れぬフェティシズムという単語が、特定の小道具の一種に対する偏執狂的な性愛だということも教わった。
「靴屋の店員なんて、多かれ少なかれそういった部分があるのさ。またそうしたものがあればこそ高度(ハイ)なビジネスにも突っ込んでゆける。(略)足は女の――といっしょだ。だからこの商売(しごと)は面白い」
- 田口ランディ「つまさきラプソディ」
そういやさあ、人魚姫って童話があるじゃない?あれもこういう話しだったなあ。魔女に人間にしてもらった人魚姫は歩くたびにナイフで引き裂かれるような激痛を味わうわけ。
- 靴を買う女『雨になりそうな風』収録 新潮社
(昭二が靴を渡した女性客は、その靴のおかげで外国の富豪に見初められる。)
「……シンデレラ、か」
やはり靴というやつは、どこかで幸運を運んでくる使者なのだろうか。
田口ランディ検証資料 -- :: (1) 盗作疑惑 ::
(2) 経歴検証 ::
(3) 誤字脱字造語 ::
(4) 自作自演? ::
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